鳥越まつり(とりこえまつり)

鳥越まつりは東京都台東区で開催されるお祭りです。毎年県内外から多数の見物客が押し寄せることもあり、来場者数は30万人にも達します。開催元の鳥越神社ですが元をたどりますと、651年に村民が英雄日本武尊を奉り白鳥神社として創建することから始まります。つまり創建当初から鳥越という名称ではなかったということになります。しかし時は過ぎ、当時活躍していた源氏の源義家により鳥越大明神と名称が改められました。さて源義家がなぜ白鳥神社から鳥越大明神へ名称を改めたのか。それは源義家らが前九年の役で大川を渡る必要があった際、白い鳥の翔ぶ姿から無事浅瀬を見付けるに至りました。このことから鳥越大明神と名称が変化したのですね。


[引用]http://kajiyanokemuri.blog73.fc2.com/blog-entry-1536.html

さて鳥越神社の例大祭では御本社神輿は千貫神輿でもあるため、重さにしますと千貫(おおよそ4トン)と非常に巨大です。その巨大さから都内随一の重さと称されています。しかしこの千貫神輿は、担ぎ棒が太く短いという特徴があります。つまりは大人数で担げず、少人数で渡御をせざるを得ないため、一人当たりに圧し掛かる重さが半端ないのです。自然と重さを分散しにくくなりますから、日中の宮出しの時点で厳しい表情をしている担ぎ手もちらほら…。

なぜ担ぎ棒が短くて担ぎにくくなっているかですが、東京ならではの理由がありました。実は氏子地域には下町が含まれていまして、道幅が狭くなっている箇所が多数存在します。そこを神輿が渡御するためには、担ぎ棒をコンパクトにしなくてはならないのです。氏子地域を巡行することで神徳に賜るのですから仕方がないですね。

そして日没後の鳥越の夜祭りでは弓張提灯に灯りが燈され、幻想的な風景が辺り一面に広がります。さらに千貫神輿の宮入道中が行われ、盛り上がりが最高潮に達します。この時には歓声に混じり、怒気を孕んだ声が響くのも鳥越神社ならではでしょう。実は鳥越の夜祭りでは神輿を担ぐために所々で小競り合いが多発します。神輿を担ぎたい者が人の波をかき分けながら担ぎ棒に押し寄せるので、小競り合いが起こってしまうんですね。動画サイトで鳥越まつりと検索しますと、ケンカやバトルといった内容の動画が多数ヒットします。江戸っ子は喧嘩っ早いと言われますが、平成の現代でも気を滾らせる不思議な力が鳥越まつりには存在するようです。

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